主要事件判決3  「加齢性黄斑変性治療薬-実施可能要件事件」

主要判決全文紹介
《知的財産高等裁判所》
審決取消請求事件
(加齢性黄斑変性治療薬-実施可能要件事件)
-平成23年(行ケ)第10179号、平成24年6月28日判決言渡-

判示事項
(1)本願発明の特許請求の範囲の記載(請求項1)は、「加齢性黄斑変性の治療のための医薬の調製におけるhVEGF(ヒト血管内皮増殖因子)拮抗剤の使用。」である。他方、本願明細書には、hVEGF拮抗剤が加齢性黄斑変性に対し治療効果を有することを直接的に示す実施例等に基づく説明は一切存在しない(当事者間に争いがない)。
そこで、旧特許法36条4項の要件充足性の有無、すなわち、本願明細書の記載及び本願の優先権主張日当時の技術常識を総合して、当業者において、本願発明を実施できる程度に明確かつ十分な記載ないし開示があると評価できるか否かについて、検討する。
本願明細書には、年齢に関連する黄班変性(AMD)の滲出形態が、脈絡膜新血管新生及び網膜色素上皮細胞剥離に特徴づけられること、脈絡膜新血管新生は予後の劇的な悪化を伴うので、本願発明のVEGF拮抗剤は、AMDの重篤性の緩和において特に有用であると思われること(上記1(2)カ)が記載され、また、hVEGF拮抗剤の1種である抗hVEGFモノクローナル抗体が、血管内皮細胞の増殖活性を阻害し、腫瘍成長を阻害し、血管内皮細胞走行性を阻害することについての試験結果が示されている(同ク、ケ、サ)。

(2)加齢性黄斑変性の原因である脈絡膜での血管新生は、甲9記載の病的状態を作り出す血管新生のカテゴリーに属するものであるが、上記のとおり、甲9には、血管新生を促進する因子としては、FGFのみではなくVEGFやHGFが知られていたこと、血管新生のメカニズムは解明されつつあるものの、どのような病態でどの増殖因子が血管新生に関与しているかは不明な点が多い点が記載されている。
上記の記載に照らすならば、脈絡膜での血管新生がVEGFにより促進されるとの事項は、本願の優先権主張日当時に知られていたとはいえず、また、同事項が技術常識として確立していたともいえない。すなわち、甲9では、VEGFが血管新生を促進する因子であることは示されているものの、血管新生にVEGFのみが関与している点は明らかでなく、結局、どの増殖因子が原因であるかは不明であることから、甲9から、hVEGF拮抗剤でVEGFの作用を抑制しさえすれば、脈絡膜における血管新生が抑制できることを合理的に理解することはできない。

(3)以上に照らすならば、本願発明(「加齢性黄斑変性の治療のための医薬の調製におけるhVEGF(ヒト血管内皮増殖因子)拮抗剤の使用。」)の内容が、本願明細書における実施例その他の説明により、「hVEGF(ヒト血管内皮増殖因子)拮抗剤」を使用することによって、加齢性黄斑変性に対する治療効果があることを、実施例等その他合理的な根拠に基づいた説明がされることが必要となる。
しかし、前記のとおり、本願明細書には、hVEGF拮抗剤が加齢性黄斑変性に対し治療効果を有することを示した実施例等に基づく説明等は一切存在しないから、本願明細書の記載が、本願発明を当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載されたものということができない。
したがって、旧特許法36条4項に規定する要件を満たしていないと判断した審決に誤りはない。

事件の骨組
1.本願の経緯
平成 8年 3月28日 特許出願  発明の名称「血管内皮増殖因子拮抗剤」
特願2002-302163号
基礎出願:特願平8-529682号
平成18年10月24日 誤訳訂正書の提出により補正
平成19年 5月16日 拒絶査定
平成19年 8月27日 審判請求  不服2007-23530号
平成23年 1月24日 審決
「本件審判の請求は、成り立たない。」

2 本件審決の概要
(1) hVEGF拮抗剤の加齢性黄斑変性に対する治療作用を裏付ける薬理データといえるものは、本願明細書の発明の詳細な説明には何ら記載されておらず、hVEGF拮抗剤の加齢性黄斑変性に対する治療作用に関し、その有用性を裏付ける薬理データと同視すべき程度の記載もない。
(2) 審判請求人(原告)は、平成18年10月24日付けの意見書において、添付した参考文献3及び4の記載をもとに、A4.6.1抗hVEGF抗体のアフィニティー成熟形態であるラニビズマブが加齢性黄斑変性の治療に有用であることが明らかになっている旨を主張する。しかし、参考文献3及び4は、いずれも本願優先日から10年以上経過した2006年に発行されたものであるとともに、具体的に試験を行った時期が、いずれも本願出願よりも後であって、本願出願時にこれらの事実が明らかにされていたと解することができず、本願発明において、hVEGF拮抗剤についてその医薬用途の有用性を裏付ける薬理データと同視すべき程度の記載の有無の検討に際し参酌することができない。
(3) そうすると、当業者が、本願発明においてhVEGF拮抗剤を用いて調製されることとなる医薬が、加齢性黄斑変性の治療において有用性があるか否かを知ることができないから、本願明細書の発明の詳細な説明は、本願発明においてhVEGF拮抗剤を用いて調製されることとなる医薬を当業者が容易に実施し得る程度に明確かつ十分に記載されたものとはいえず、平成14年法律第24号改正前の特許法36条4項(以下、旧特許法という。)に規定する要件を満たさない。
また、本願発明においてhVEGF拮抗剤を用いて調製されることとなる医薬は、本願明細書の発明の詳細な説明に実質的に開示されていると当業者がいえないのであるから、発明の詳細な説明に記載したものであるとはいえず、特許法36条6項1号に規定する要件を満たしていない。



3.当事者の主張
〔原告の主張〕
(1)本願明細書(甲1)の5頁7ないし15行、7頁11ないし15行、13頁11ないし15行、23頁3行ないし24頁1行の各記載(なお、「年齢関連性角膜白斑変質」は、本件補正で「加齢性黄班変性」に誤訳訂正された。)には、hVEGF拮抗剤が加齢性黄斑変性の治療に有効である旨が示されている。本願明細書の23頁26行ないし24頁1行においては、加齢性黄斑変性が脈絡膜新血管新生によって特徴づけられることが記載され、「脈絡膜新血管新生は予後の劇的な悪化を伴うので、本発明のVEGF拮抗剤は、AMDの重篤性の緩和において特に有用」と記載されている。当業者は、上記各記載により、本願発明のhVEGF拮抗剤が脈絡膜新血管新生を阻害することによって、加齢性黄斑変性を治療することを理解することができるといえる。
また、加齢性黄斑変性の原因となる脈絡膜新血管新生においては、血管内皮細胞が脈絡膜に移動し、そこで増殖して血管を新生するというプロセスが生じていることは、分子生物学分野での技術常識であり(甲9の12、13頁)、本願明細書の実施例6にも「内皮細胞の移動と増殖は、・・・脈管形成を伴う」(甲1の33頁14、15行)と記載されている。
そして、血管内皮細胞の移動(遊走)はhVEGFによる走行性活性、血管内皮細胞の増殖はhVEGFによるマイトジェン活性(細胞増殖活性)、血管内皮細胞による血管新生はhVEGFによる血管新生活性にそれぞれよるものであるから、hVEGFによる走行性活性、マイトジェン活性、及び/または血管新生活性をhVEGF拮抗剤で阻害すれば、内皮細胞による脈絡膜新血管新生が阻害され、加齢性黄斑変性を治療できることは、本願明細書の上記記載から当業者には十分に理解できる。
したがって、本願明細書の上記各記載に接した当業者は、hVEGF拮抗剤による加齢性黄斑変性の治療メカニズムを十分に理解することができるから、hVEGF拮抗剤の加齢性黄斑変性に対する治療作用を裏付ける薬理データと同視できる程度の記載としては、hVEGF拮抗剤がhVEGFによる走行性活性、マイトジェン活性、及び/または血管新生活性を阻害できたという実験データで十分である。
(2)上記(1)のとおり、hVEGF拮抗剤の加齢性黄斑変性に対する治療作用を裏付ける薬理データと同視できる程度の記載としては、hVEGF拮抗剤がhVEGFによる走行性活性、マイトジェン活性、及び/または血管新生活性を阻害できたという実験データで十分である。そして、以下の本願明細書の実施例1、2、4ないし6が当該実験データに相当する。

〔被告の反論〕
(1)本願明細書(甲1)の5頁7ないし15行、7頁11ないし15行、13頁11ないし15行、23頁3行ないし24頁1行の各記載には、本願発明のhVEGF拮抗剤によるマイトジェン活性又は血管新生活性の阻害、hVEGF拮抗剤による加齢性黄斑変性治療の可能性が推測されることについては記載されているものの、これらの活性が奏される条件や、脈絡膜新血管新生が阻害されることや加齢性黄斑変性の治療作用に相当することが明らかでなく、そのように推測できる根拠も示されていないから、本願発明のhVEGF拮抗剤が、脈絡膜新血管新生を阻害することによって加齢性黄斑変性の治療を導くことが示されたとはいえない。
また、甲9及び本願明細書の実施例6の記載によっても、加齢性黄斑変性の原因となる脈絡膜新血管新生において、血管内皮細胞が脈絡膜に移動し、そこで増殖して血管を新生するというプロセスが生じていることが、技術常識とはいえない。
したがって、本願明細書の記載から、hVEGFによる走行性活性、マイトジェン活性、及び/または血管新生活性をhVEGF拮抗剤で阻害すれば、内皮細胞による脈絡膜新血管新生が阻害され、加齢性黄斑変性を治療できることが、当業者に理解できるとはいえない。
(2)血管内皮細胞の増殖や血管新生に関する試験結果から、機能や効果について評価するに当たっては、以下の点を考慮すべきである。すなわち、①ある血管内皮細胞における機能や作用に関する結果が、由来を異にする血管内皮細胞においても同様のものとなるとは必ずしもいえないこと、②in vivo の方法は生体内での出来事に近い現象がみられるという利点がある一方、血管内皮細胞以外の細胞の影響を考慮しなければならないこと、③血管新生に関与する細胞増殖因子としては複数のものがあるとともに、その中には、in vitro とin vivo とで血管新生に関して反対の作用を示すものがあるため、血管新生に関与する細胞増殖因子であれば脈絡膜における血管新生が促進されるわけではないことを考慮すべきである。以下、このような観点を踏まえて反論する。
-以下、省略-
(3)なお、本願の審査段階の拒絶理由通知において、引用文献1(乙1〔乙2はその訳文〕、原告出願に係る国際公開94/10202号)及び引用文献2(乙3)が、進歩性なしの拒絶理由として引用された。このうち、引用文献1の記載内容は、加齢性黄班変性に関する一行記載がない点を除き、実施例の記載を含む発明の詳細な説明及び図面の記載が本願明細書とほぼ同じである。これに対して、原告は、拒絶理由通知に対する意見書(甲4)を提出し、「本願発明の優先日前の技術常識では、網膜と脈絡膜の新生血管形成は、VEGFだけではなく、・・・数多くの刺激因子及び阻害因子によって影響されると解されておりました・・・血管新生のシステムが複雑なことと、これらの因子の間で複数の相互作用が存在することを考慮すると、新生血管形成の発達に有意に影響するたった一つの因子がどれであるかは当業者であっても理解しかねる技術常識でありました。・・・引用文献2では、AMDの罹患における血管新生刺激因子としてVEGFが作用しているようであると推察しておりますが、この観察にもかかわらず、引用文献2ではAMDの治療におけるVEGF拮抗剤の使用は記載も示唆もしておりません。・・・本願の優先日前の技術常識では、VEGFが加齢性黄斑変性(AMD)に関与していることは、まだ明らかになっていなかったことにご注意下さい。・・・」と主張した。
すなわち、原告は、乙3にVEGFが加齢性黄斑変性の罹患における血管新生促進物質として作用していることの示唆が記載され、乙1にhVEGFアンタゴニストがhVEGFの細胞分裂活性、脈管形成活性又は他の生物学的活性を阻止する性質を有し、望ましくない過度の血管新生を特徴とする疾病又は疾患の治療に有用であることが記載されているにもかかわらず、本願の優先権主張日前の技術常識では、VEGFが加齢性黄斑変性に関与していることは、まだ明らかになっておらず、乙3には加齢性黄斑変性の治療におけるVEGF拮抗剤の使用は記載も示唆もないと主張した。
以上の経緯によれば、原告も、VEGF拮抗剤が新生血管形成を阻害しただけでは、AMDの治療に有用であるとはいえず、本願明細書程度の記載では、裏付けるデータがなく、VEGF拮抗剤についてAMDを治療できるという医薬用途の有用性を裏付ける薬理データと同視すべき程度の記載に当たらないと解していたことが推認される。

                   (要約 たくみ特許事務所 佐伯憲生)

 原告   ジェネンテック、インコーポレイテッド
 被告   特許庁長官