主要判決全文紹介
《知的財産高等裁判所》
審決取消請求事件
(有機発光デバイス-サポート要件事件)
-平成23年(行ケ)第10234号、平成24年11月7日判決言渡-
判示事項
(1)本件特許は、平成12年11月29日出願に係るものであるから、法36条6項1号が適用されるところ、同号には、特許請求の範囲の記載は、「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」でなければならない旨が規定されている(サポート要件)。
特許制度は、発明を公開させることを前提に、当該発明に特許を付与して、一定期間その発明を業として独占的、排他的に実施することを保障し、もって、発明を奨励し、産業の発達に寄与することを目的とするものである。そして、ある発明について特許を受けようとする者が願書に添付すべき明細書は、本来、当該発明の技術内容を一般に開示するとともに、特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという役割を有するものであるから、特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには、明細書の発明の詳細な説明に、当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきである。法36条6項1号の規定する明細書のサポート要件が、特許請求の範囲の記載を上記規定のように限定したのは、発明の詳細な説明に記載していない発明を特許請求の範囲に記載すると、公開されていない発明について独占的、排他的な権利が発生することになり、一般公衆からその自由利用の利益を奪い、ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ、上記の特許制度の趣旨に反することになるからである。
そして、特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであるか否かを検討して判断すべきものである。
したがって、本件においても、サポート要件に係る判断の前提として本件発明の課題について認定する必要があり、その上で、本件発明の特許請求の範囲の記載と本件明細書の発明の詳細な説明の記載を対比し、本件発明として特許請求の範囲に記載された発明が本件明細書の発明の詳細な説明に記載された発明で、当該発明の詳細な説明の記載により当業者が本件発明の当該課題を解決できると認識できる範囲内のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし本件発明の当該課題を解決できると認識できる範囲内のものであるか否かを検討する必要があるというべきである。
(2)そして、本件明細書には、本件発明の課題が必ずしも明確に記載されていないが、本件明細書は、上記技術水準を前提として、本件発明について、本件出願日当時に知られていた有機金属化合物とは異なるものを発光層に使用した有機発光デバイスに関するものとして説明しているものであるから、本件発明の課題は、「有機発光デバイスの発光層に使用した場合に燐光を発する新たな有機金属化合物を得ること」であると認めるのが相当である。
他方、本件明細書には、先行技術(甲1)によるEL効率や、これと同等以上のEL効率を発揮することの意義等についての具体的な記載は何ら見当たらず、本件明細書は、本件発明について、本件出願日前に達成されていたものと比較してより高いEL効率を発揮するものとして説明するものとは認められない以上、本件発明は、本件出願日前に達成されていたものと比較してより高いEL効率を発揮することなどを課題としているものとは認められない。
(3)被告は、「高い量子効率で燐光発光できる発光デバイス及び発光装置の提供」、具体的には甲1に記載の8%と同等以上のEL効率で燐光発光できる有機発光デバイス等の提供を本件発明の課題として認定した本件審決は合理的なものであり、本件発明のL2MXで1%でも燐光の量子効率が得られればよいというものではない旨を主張する。
しかしながら、前記(2)に説示のとおり、本件出願日当時における技術水準によれば、有機発光デバイスの発光材料として使用することができる有機金属化合物を見いだすことは、本件出願日当時において、それ自体解決すべき技術的課題として成立し得るものというべきであって、本件出願日前に甲1のIr(ppy)3が8%というEL効率を示していたとしても、そのことは、本件出願日当時における当該技術分野において解決すべき技術的課題を「8%と同等以上の高いEL効率で燐光発光できる発光デバイス及び発光装置の提供」に限定する根拠となるものではない。
(4)本件発明の課題は、「有機発光デバイスの発光層に使用した場合に燐光を発する新たな有機金属化合物を得ること」であると認められる。そこで、以下では、このことを前提として、本件発明として特許請求の範囲に記載された発明が、本件明細書の発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が本件発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであるか否かを検討する。
-中略-
したがって、本件発明として特許請求の範囲に記載された発明は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が本件発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであるというべきであって、本件発明の特許請求の範囲の記載は、法36条6項1号にいう「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものである」ということができる。
(5)被告は、本件明細書の発明の詳細な説明ではBTIrという特定のイリジウム錯体の効果のみが確認されており、式L2MXで表される有機イリジウム錯体全体の効果が確認されていない旨を主張する。
しかしながら、前記(3)に説示のとおり、本件明細書の発明の詳細な説明には、BTIrを発光層に含めた有機発光デバイスに加えて、式L2MXで表される様々な有機イリジウム錯体の製造方法や、これらの有機イリジウム錯体による燐光の発光スペクトルが示されているばかりか、有機イリジウム錯体を採用することによって燐光が発生する作用機序も記載があるのであって、BTIrという特定のイリジウム錯体の効果のみを確認したものではない。
(6)なお、原告らは、法36条6項1号の解釈に当たっては、特許請求の範囲の記載が、発明の詳細な説明の記載を超えているか否かを合目的的な解釈手法で判断すれば足りる旨を主張するところ、仮に当該判断手法によったとしても、前記に説示のとおり、本件明細書の発明の詳細な説明には、式L2MXで表される様々な有機イリジウム錯体を有機発光デバイスの発光層又はこれが組み込まれた表示装置に使用した場合に燐光を発することがその作用機序とともに具体的に記載されているから、当業者は、本件発明が本件明細書の発明の詳細な説明に記載されているものと理解することができると認められ、本件審決の判断が誤りであるとの上記結論に異なるところはない。
事件の骨組
1.本件の経緯
平成12年11月29日 特許出願 特願2001-541304号
発明の名称「有機LED用燐光性ドーパントとしての式L2MXの錯体」
平成21年 8月14日 特許登録 特許第4357781号
平成22年 4月28日 被告、無効審判請求 無効2010-800083号
平成22年 9月17日 訂正請求
平成23年 3月23日 審決 「訂正を認める。特許第4357781号の請求項1ないし13に係る発明についての特許を無効とする。」
2 本件審決の概要
本件発明が、いずれも平成14年法律第24号による改正前の特許法(以下「法」という。)36条6項1号の規定に適合しないものであるから、本件特許が特許法123条1項4号に違反してされたものとして無効である。
3.当事者の主張
〔原告の主張〕
(1)法36条6項1号は、「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したもの」であることを要求することで、「特許請求の範囲」が「発明の詳細な説明」と対比して広すぎる独占権の付与を排除することを趣旨としているところ、「特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであること」までは要求していない。しかも、明細書の記載様式は、発明の解決すべき課題(発明の課題)に関する項目を設けていない。
したがって、いわゆるフリバンセリン事件判決(知財高裁平成21年(行ケ)第10033号同22年1月28日判決)と同様に、同号の解釈に当たっては、特許請求の範囲の記載が、発明の詳細な説明の記載を超えているか否かを合目的的な解釈手法で判断すれば足り、その際の解釈手法は、特許請求の範囲が複数のパラメータを用いた数式を用いて記載された場合のような特段の事情がない限り、発明の詳細な説明に記載された技術的事項(特に、発明の構成についての技術的事項)を理解した上で、これが特許請求の範囲の記載を超えているかどうかを検討すれば足りるというべきである。
(2)本件明細書には、本件発明の課題として、本件審決が認定した「高い量子効率で燐光発光できる発光デバイス及び発光装置の提供」であるとは記載されていないし、まして、先行技術に関する甲1に8%の量子効率が記載されているからといって、「8%と同等以上の量子効率」で燐光発光できる発光デバイス等を提供することがすべからく本件発明を含む燐光性有機発光デバイスの課題であることを認定する根拠はない。このように、本件審決は、本件明細書の記載に基づかずに本件発明の課題を認定し、かつ、何らの根拠もなくその課題を不合理に高いレベルに限定するという誤りを犯している。
むしろ、本件明細書の前記3の記載によれば、本件発明の課題は、「従来知られていた式L3Mの構造を有する燐光有機金属化合物とは異なる構造を有する燐光性化合物を発光層に含む有用な有機発光デバイスを提供すること」であるというべきであり、当該課題及びその解決手段は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載されているから、本件発明は、本件明細書の発明の詳細な説明による開示を超えるものではない。
〔被告の反論〕
(1)本件は、広範な化合物を含む本件発明1に対して、発明の詳細な説明においては特定のイリジウム錯体であるBTIrのみの効果が確認されている事案であって、その効果がBTIrのみならず、L2MX錯体全体にも拡張できるか否かが問題となっている事案である。
いわゆるパラメータ特許事件判決が示したサポート要件に関する判断基準は、法36条6項1号の趣旨に基づくものであって、パラメータ発明に限って判示されたものではない。そして、発明の課題が明細書に一義的に明確に記載されていない事案であっても、明細書及び図面の記載から発明の課題を認定することになる。
なお、フリバンセリン事件判決は、①特許請求の範囲が特異な形式で記載されているため、その技術的範囲についての解釈に疑義があること、②特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比して、前者の範囲が後者の範囲を超えていること、の各要件を満たせば、パラメータ特許事件判決を適用できる旨を判示しているものと解される。そして、本件発明1の特許請求の範囲の記載は、広範なX配位子及びL配位子を含むから、パラメータに類似するような特異な形式で記載されており、その記載からは配位子の構造を特定できず、技術的範囲を特定できないから、上記①の要件を満たす。また、本件明細書の発明の詳細な説明からは、BTIrを用いた場合に量子効率12%のELデバイスが得られるという限定的な技術的事項が開示されているにとどまるのに対して、本件発明1の特許請求の範囲には、式L2MXという広範な技術的範囲を含む記載がされているから、上記②の要件を満たす。
よって、本件審決が採用したサポート要件の判断基準を適用することは、合理的である。
-中略-
以上によれば、本件明細書に接した当業者が認識できるのは、BTIrを用いた場合に、従来技術の8%と同等以上の高い量子効率を有する燐光有機発光デバイスを提供できるということであって、BTIr以外のL2MX錯体がどの程度の量子効率を有するかは、不明である。したがって、当業者は、本件発明1に記載の「式L2MXの式の燐光性錯体を含む、有機発光デバイスの発光層として用いるための組成物」を認識することはできず、本件発明1は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものではない。
(2)発明の課題の認定は、明細書及び図面の全ての記載事項を考慮すべきであり、本件明細書には、特定の実施態様(BTIr)が高い量子効率で燐光発光する旨の記載があるが、それを超えて、前記〔原告らの主張〕4において原告らが主張するような発明の課題についての記載はない。むしろ、本件明細書には、発明の課題が明確に記載されていないところ、本件審決による、「高い量子効率で燐光発光できる発光デバイス及び発光装置の提供」という発明の課題の認定は、合理的なものである。
(要約 たくみ特許事務所 佐伯憲生)
原告 ザ トラスティーズ オブ プリンストン ユニバーシティ 外1名
被告 株式会社半導体エネルギー研究所